
最近あちこちにニラの花が咲いている。通勤路の脇にも。すっくと伸びた茎に凛とした白い花が,きれい。
ここのところ考える機会のあるテーマ。
「心配される」事からは,相手からの「不信」こそ感じても,「思ってもらってる」って気持ちを,あまり・・・というか,ほとんど感じないんじゃないか,ってこと。
たまたま見かけた言葉が,まさにこの事を表していてツボだった↓。
心配をすることは「あなたには力がない」ということを伝える否定的な力があり,信頼をすることは「あなたには力がある」ということを伝える肯定的な力がある。(by坂爪圭吾さん いばや通信)
子育て中の自分に対して,子どもの心配をしてくれた身近な人はいた。
たくさんの「心配」をぶつけられることで私自身,随分と自信をなくして,徹底的に叩かれたような気がする。当時の私は,「だけどたぶん思って言ってくれるのだろう」と思い込もうともがいたりして。
私自身も今「心配」な対象がいたりするけれど,それを「心配」という形で相手に伝えても,傷つけるだけで,うまくいかないと思う。
数年前に暮らしていた隣市での住居は,とても閑静な住宅地にあった。当時,色々な状況で自分自身への自信など,粉々に打ち砕かれていた私にとっては,自分自身にも,自分の子育てにも,自信などあるわけなかった。
ところが,ある資源ゴミ立ち当番の日。私たちの住まいの目の前に住んでいるという,私の母世代くらいの女性が話しかけてきた。
「あら,あなた。あの部屋に住んでいる方ね。私,道をはさんだ目の前に住んでるのよ。」と。
「いつもうち,うるさくて,すみません。」と,私は肩をすくめるような気持ちで言った。
すると,「いつも主人と話しているのよ。あのお母さんと住んでる子どもたちは幸せだね,って。だってあなた,太陽みたいなお母さんだもの。いい家庭よね♪」と。
・・・もう,泣き出しちゃいそうだった。
あまりに閑静なエリアだったので,いつも我が家の生活音は,ご近所に筒抜けだったに違いない。それを「うるさい」だとか「心配」だとか言わずに,そんな風に言ってくれた女性のこの言葉。どれほど温かかっただろう。
うまくいかない事も,下手っぴなことも,いくらでもあるけれど,そこで「心配」の言葉がけをするよりも,相手の中にある力を信じて肯定できる,って素敵。やみくもに褒めればいいわけじゃないけど,やたら心配しすぎるより,よっぽど本人にとっての『力と励み」になると思う。
子育てに関してだけでなく,人生の色々な選択をするという相手に対して,「心配」よりも「信頼」を向けていける人になれたらいいな,と考えてる今日このごろ。あの女性に出会えて本当に良かった。いまだに私は,あの言葉を,大きな支えにしてる。
名も知らないお向かいさんに,今でも感謝してる。
・・・ありがとうございます。
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