母の重たさ

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昨日,久しぶりに撮ってホクホクしていた写真,今朝なぜかサイズ変更中にすべて消えた・・・━━━d(○`□´○)b━━━!!
・・・「撮った」行為だけで,もう充分ありがたいこと。未練は捨てよう(笑)。

さて。最近特に,子どもへの態度について考えさせられていた。

子ども1号は高校生になり,とりわけ「自分で考えて判断して,しっかり生きていくこと」が強く求められる環境になったし,子ども2・3号だって,新しい所属での新しい人間関係の中,自分を出しつつ,周囲とそれなりにうまくやっていくよう,心構えを持っていると思う。
そんな中,時折子どもたちが漏らす,ちょっとした心細さや,ふと見え隠れする微かな心もとなさ。そこに,私が出しゃばり過ぎていない?もしくは,必要な時なのに,必要な援助をしなさ過ぎていない?!この判断が難しいな,と思うことが,ある。

子ども3号が,この間,ふと言った。「お母さんが心配すると,なんか変な気持ちになる」。
これって,私自身も経験した,母親の重たさのことだろうと察しがついた。ああ。。。ある。ある・・・母親が自分に向けている気持ち(不安や心配)の重たさ・・・。(´・_・`)

別な場面では,私が無意識に言う否定的に聞こえる言葉について,「今ここで言わなくていいよね」と(←優しく言ってくれるところに感謝してる),子どもたしなめられることがある。
例えば私の好きではないテレビ番組とか,食べ物とか虫とかについて。
「うわー,この虫嫌だー」と言うと,「でも生きてるんだよ」と,すかさず3号は言うし,「お母さんが嫌いな食べ物をもし俺が食べたいなと思っているとするでしょ。でも,お母さんがそれを嫌いみたいな事を聞くと,一気に気持ちが下降する」と。

子どもが言いたいことはきっと,自分の一方的な気持ちを,周囲への配慮なしにバラ撒かないで,ってことなんだろうと思う。私の好き嫌いをストレートに聞くと,嫌な気持ちになる,って事なんだろう。
母親の感情をモロに浴びる,って,子どもにはとても重たいし負担だと思う。

私自身が子どもの頃,心配性の母親がすごく重たく,モヤモヤしていた。もちろん,それは親心でもあり,母の,子を思う気持ちではあったのだろうとも思うのだけど,でも一方で,母親を心配させ,不安にさせているという自分自身の立場は苦しいものでもあった。
そして中学生の頃には,「心配されるって,信頼されていないんじゃん」と思ったりして。

心配しちゃ,ダメなわけではなく,その心配を,不要にも子どもに浴びせ,投げかけることって,結局は私自身が子どもにもたれかかりすぎていることなんだと思う。
そんなんじゃ,嫌だな,って,自分を思う。子どもは,「母親の不安や心配」について心配になる必要などなくて,もっと自分自身が立ち向かっていくものについてエネルギーを向ければいいと思う。

子どもを心配して不安になることにエネルギーを費やすよりも,自分にできる「後ろ盾」を整えたら,あとは子どもを信じていればいいのだろうな。
そういや私,子どもたちの本質的なところで,「この人達この先生きていけるの?」という心配は,ないなー。「私がいなければ,この子たち,ダメだわー」って気持ちもないし(笑)。

その場その場での心配はあるといえばあるけれど,こう考えてみれば,子どもたちを信じてるという原点に立ち戻って,私は私のすることをして,この気持ちそのまま正直に一緒に暮らせばいいんだ。
少しだけ自分の心の中にグッと入ってみれば,子どもを心配したり,不安になる時,大概子ども自身の問題なのではなく,「私自身が」勝手に想像したシナリオから出てくる不安感なのだ。そこを子どもに押し付けちゃいけないなー。

私自身の課題が大ナリ。ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3。
自分自身の状態を整えることって,大事だとあらためて思ってる。そこをガンバロー(^∇^)

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